姫路市文化センターの歴史

ありがとう、姫路市文化センター

建設前夜

昭和30年代、姫路市で1000人以上を収容できる文化施設としては、姫路市公会堂(昭和6年建設、現在の姫路市市民会館があった場所)、姫路市厚生会館(昭和37年建設、現在の兵庫県立武道館があった場所)が存在していました。
しかし、姫路市公会堂は施設が老朽化しており、姫路市厚生会館は元々が体育施設であり、いずれも芸術文化公演を行うための十分な音響、照明、舞台設備や冷暖房設備が整っていませんでした。
昭和39年に発足した姫路地方文化団体連合会による文化センター建設運動、また姫路市の主婦たちを中心に組織された「創る会」による文化センター建設募金活動(竹筒募金)等により、市民の間に優れた総合文化施設の建設を望む気運が高まりました。

昭和42年12月、吉田豊信市長により「郷土文化創造の場、社会教育活動の場、国内および国際文化交流の場」としての文化センター建設が打ち出されました。
市民参加による建設プラン作成を重視した姫路市は、建設問題懇談会を開催して当時の財界、文化団体、教育関係団体、自治振興会、婦人会、労働組合、報道各社の代表による要望や議論の結果を積極的に計画に取り入れ、また専門家の意見や他都市の建設状況を参考に協議を重ね、昭和44年8月に建設概要をまとめました。
昭和44年11月には基本設計が、翌45年3月には実施設計が完了し、同年10月に起工式が挙行された後、文化センター新築工事は比較的順調に進み、昭和47年4月に定礎式が行われました。

その一方で昭和47年3月に市会に提出された姫路市文化センター条例について、各文化団体から、使用料の高さ、減免措置の不十分さに対する批判が起こり、使用料引き下げ運動が行われました。また、民間法人への管理運営委託についても、利益を優先した運営に対する懸念から市会で論議が紛糾しました。
そこで、市は、昭和47年6月に使用料や減免措置に配慮を行うと同時に管理運営を財団法人への委託とする修正案をもって条例を成立させました。8月には財団法人姫路市文化センターの法人登記が完了し、管理運営に関する契約が締結され、管理運営の基礎が固められました。

姫路市文化センター開館!

昭和47年10月、手柄山の一角に、播州地方の文化振興の拠点として、姫路市文化センターが開館しました。
播磨地域最大規模の1657席を擁する大ホールは、花道やオーケストラピット、迫りなどを備え、本格的な舞台芸術公演にも対応可能です。
同年10月5日に落成祝賀式が行われ、大ホールで大阪フィルハーモニー交響楽団が演奏を行い、その後2か月にわたり、記念行事として姫路市芸術祭、マスメディアの公開番組、音楽祭、演劇、美術展など多彩な催物が行われました。
加えて昭和46年から昭和47年9月末にかけて、修景池や前庭の植樹等周辺整備工事が行われ、現在の姫路市文化センターの原型が完成しました。
さらに、平成元年には、大ホールの舞台と同じサイズの舞台を擁するリハーサル室が増築され、稽古、練習場として活用されるようになりました。

アクリエひめじの建設、姫路市文化センター閉館へ…

姫路市民の期待と芸術文化振興の使命を担い誕生した姫路市文化センターは、歴代市長により建築当初の理念が受け継がれ、控え目な使用料で市民が利用しやすいホールとして文化芸術の振興に大きな役割を果たし、市民に身近な文化施設として親しまれてきました。
しかし、播磨地域で最も規模の大きな施設でありながら、長年の利用を経た施設の老朽化、姫路駅からの遠さやバリアフリー対応ではない等の不便さ、コンベンション会場としての収容人数や機能性の問題から、大型イベントやコンベンション誘致の推進に活用しずらい一面がありました。

社会的にも、平成24年「劇場、音楽堂等の活性化に関する法律(いわゆる劇場法)」制定、平成29年「文化芸術基本法」改正、平成30年「障害者による文化芸術活動の推進に関する法律」制定等、関連法の検討や整備が進んでいるところでした。
その中で、芸術文化に対し、従来の本質的価値に加えて、観光、まちづくり、国際交流、福祉、教育、産業、その他関連分野における施策と連携させる社会的・経済的価値を見出し、役割を果たす位置づけがなされるようになりました。
姫路市においても姫路の町のにぎわい創出へのニーズが高まり、姫路市文化センターに対して、芸術文化の拠点としてだけではない、姫路の街のランドマークとしてより広く多面的な社会的施設への転換が求められるようになりました。

このような状況下で、平成23年頃から代替施設としての位置付けを持つ新しい文化コンベンション施設の建設計画が具体的に進行していきました。
姫路市は、平成23年から27年にかけてイベントゾーン基本計画検討懇話会を行い、地域の経済界、文化人、市民からの意見聴取を行い、平成27年3月に姫路市文化振興ビジョンを作成。平成21年度から始まった「姫路市総合計画」の中に掲げられた「歴史文化の継承と市民文化の醸成」を基本としつつ、兵庫県芸術文化振興ビジョンと緊密に連携を取り、効果的な文化芸術振興を進めていくという方針を確認しました。
新しい公共文化施設の建築に向け、文化コンベンション施設整備室を設置した姫路市は、社会的な役割、姫路市の芸術文化への理念、市民の意見を総合的に取り入れた設計を多面的に検討し、平成28年に新しい施設の基本設計、平成30年には実施設計を作成し、建築に着手。令和3年2月に竣工しました。
令和3年9月、姫路市文化コンベンションセンター(アクリエひめじ)が開館し、姫路市文化センター建設当初の理念を内包しながら、より多くの役割を求められる現代的な公共文化施設としての歩みを始めました。

その一方、姫路市文化センターは、長年にわたりはりま地域で最も大きなホールとして多くの人の思い出を紡いだ場所であり、多くの惜しむ声を寄せられながら、その機能を終えることとなりました。

姫路市文化センター概要

着工
昭和45年(1970年)10月
完成
昭和47年(1972年)8月
開館 
昭和47年(1972年)10月5日
設計 
㈱日建設計
施工 
㈱大林組 〔舞台機構:博電舎/迫り:三精テクノロジーズ/舞台照明:東芝ライテック/舞台音響:ジャトー〕
構造 
鉄筋コンクリート造、一部鉄骨鉄筋コンクリート造、屋根鉄骨造/地下1階、地上5階
  • 敷地面積 21,912㎡
  • 床面積 5,050㎡
  • 建物延面積 11,021㎡
    〔内訳〕G1階 3,795㎡/1階 5,108㎡/2階 1,079㎡/3階 619㎡/ 4階 247㎡/5階 173㎡
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